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■「かけがえのないもの」を求めて
「心の杖として鏡として」の撮影 高橋愼二(カメラマン・共同監督)
安彦講平さんとの出会いはまったくの偶然でした。今から10年ほど前、家の近所にある障害者施設のバザーに子供をつれて遊びに行ったところ、そこに影絵を上映している会場がありました。覗いてみるとそこには素晴しい切り絵の世界がひろがっていました。思わずこの切り絵は誰が作ったのですかとOHPを操作している人に尋ねた相手が安彦さんだったのです。その切り絵が山口県萩に住む自閉症の青年、上田豊治さんの作品であると説明してくれた安彦さんは最後に「アトリエに来て見ませんか」と私を造形教室に誘ってくれたのです。以来10年間、私は仕事の暇を見つけては時々安彦さんのアトリエへ顔を出すようになっていったのです。
はじめの数年間、私はカメラマンという職業でありながら造形教室にはカメラを持たずに通っていました。私はアトリエで何をするということもなく、絵を描いている彼らをただ眺め、そして時折話しかけたりしているだけでした。それぞれの病を抱えながらも一心に創作活動に集中している彼らに何か惹かれるものを感じていたのですが、自分が彼らを撮る目的は見つからなかったのです。
ここに集まる人たちの姿を初めて撮影したのは99年の「癒しとしての自己表現展」(八王子市中央図書館)でした。「癒しとしての自己表現展」のギャラリートークは、毎年そこで行われる見学者を交えた意見交換の場で大変興味深く貴重な意見が出てきます。これは造形教室の記録として撮っておいたほうがよいと思ったのが撮影の動機でした。メンバーたちの撮影許可を安彦さんにとってもらい外部には公開しないという約束でギャラリートークの撮影を始めるつもりでいました。ところが、トークの始まる前に、彼らに出品している作品について質問してみたところ、実に熱っぽく語り始めたのです。作品を通して自らの病について、そして自分や家族について延々と話し続けます。私は手にしていたVX-1000を回しました。質問する私に答える彼らの目はカメラのレンズを通してしっかりと私に向かっています。そして絵を描くことは今や「かけがえのないもの」になっている、アトリエは自分にとって「かけがえのない場所」なのだと語ってくれたのです。
その後、何人かの周りの人間にこの話をしたところ、是非その場を見てみたいという見学者が増えて行きました。そして、いつの間にかそれが映画を作るという形に変わっていったのですが、私にとって今回の撮影は、安彦さんに出会って初めて造形教室に行った時から続いている「かけがえのないもの」とは何かを探す作業だったのです。
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