視覚に障害のある人との言葉による美術鑑賞ハンドブック

百聞一見をしのぐ!?」

 

言葉による美術鑑賞―市民グループによる取り組み

ミュージアム・アクセス・グループ MAR

 「ふたりでみて はじめて わかること」から

 1999年2月から3月にかけて、東京都美術館で障害のある人たちによる多様なアートを紹介する展覧会「このアートで元気になる エイブル・アートユ99」が開かれ、関連プログラムとして「目の見えない人と観るためのワークショップ―ふたりでみてはじめてわかること」が実施された。視覚に障害のある人とない人とが共に、触覚に頼らず言葉で美術鑑賞をする、という新しい試みである。この企画の中心メンバーの一人であった全盲の白鳥建二さんは、以前から、一人で美術館に出向いては、美術館スタッフなどに一緒に鑑賞して欲しいと依頼し、言葉で作品を見る経験を重ねていた。この希有な経験を多くの人と共有しよう、と企画されたのである。

 会期中に 3 回開かれたワークショップは大きな反響を呼び「視覚に障害のある人の美術鑑賞、すなわち、さわって鑑賞すること」という既成概念を大きく変えるきっかけとなった。また、さわることのできない平面作品を言葉で鑑賞することに大いなる可能性があることを多くの人が発見し実感した。

 見える人たちも、一人で見ている時とは異なった感覚で作品に向き合うことになり、作品からさまざまなことを発見して感動することが多く、何度も「目からウロコが落ちる」経験をした。そのような経験をした人たちのなかから「継続的に活動をしたい」という機運が盛り上がり、2000年4月「ミュージアム・アクセス・グループ MAR(以下MARと略記)」が発足し、いまに至る。

 名称は、先の白鳥さんの「美術館という空間で作品の前でなければ味わえないことがある」という言葉にメンバーが共感し、さらに、市民と美術館との新しい関係を構築するために「誰のものでもある美術館をもっと楽しもう」という思いを込めMuseum Approach and Releasingの頭文字をあてた。

 知らせる・つなぐ・広げる

 事務局はエイブル・アート・ジャパン内におかれ、そのホームページ上に専用のコーナーが設けられた。2000年6月にはニュースレター「MARニュース」第1号を発刊、現在第13号まで刊行されている。主な活動としては、中心的なメンバーが選んだ展覧会を見に行くこと。現在、情報を流している登録メンバーは約130人、中心的に活動企画やニュースレターづくりなどにかかわるメンバーは10人ぐらいである。

 メンバーは年齢も経歴も見事なほどバラバラ。参加のきっかけもそれぞれ違うが「なんだか面白そう」という感覚は共通であり、それぞれの心の底にあった「思い」も不思議なほど近いという。

 鑑賞ツアーを行う場合は、参加者はその都度ホームページやニュースレターなどで募集。日時と集合場所などを通知し、申し込みを受け付けている。たいがい、新しいメンバーが参加するが、ほとんどの人は口コミで誘われて参加してきている。

 ここ数年、MARの活動への外からの関心も高く、盲学校の先生の勉強会に招かれたり、中途失明の人たちの集まりなどで話す機会も増えてきた。一方、自分たちの活動を広げるため、エイブル・アート・ジャパンとの協力のもと、美術館との協働プログラムの企画・運営などに取り組むとともに、鑑賞デモンストレーションに出向いたり、鑑賞ワークショップも開催するようになっている。さらに、美術館へのアクセス調査やネットワークづくりなど社会的な広がりをもった活動にも携わっている。「美術館バリアフリー情報に関するアンケート調査(02年実施)」や、03年8月に世田谷美術館で行われた「ミュージアム・アクセス・グループ全国会議」などはその一例である。

 MARの鑑賞スタイル―鑑賞はコミュニケーション

 MARは活動の目的として「新しい価値観やコミュニケーションを発見すること」を掲げている。MARの活動は、端的にいうならば、美術鑑賞を切り口に人と人が出会い、コミュニケーションをつむぎ、なにかしらの楽しみを得ること。自ら「出会い系」を標榜するように、アートを語り合いつつ、お互いを知り合うプロセスを楽しんでいる。

 MARの鑑賞スタイルは「ふつーの人」が「ふつーの言葉」で作品について語りあうもの。特別な知識やノウハウがなくても、「いつでも誰でも気軽に」がキーワード。おおむね、視覚に障害のある人1人と見える人2〜3名が1組で鑑賞する。鑑賞グループのメンバーは、お互いに知り合いである場合もあれば、まったくの初対面である場合もある。

 鑑賞しようとする作品の前で、グループメンバーは、作品を見て感じたことを率直に口に出す。その時に共有される視覚情報は必ずしも、客観的事実としての作品の姿というだけでもなく、学術的・歴史的な解説や作品の技法などでもない。その人にとってどのように作品が見え、どのように感じたかを語り、それに対して、また別のメンバーが補足したり、自分はどう感じたかについて応酬したりするのである。見えない人も、彼らの感想に反応して、質問を投げ返したり、メンバーの発言への感想を述べたりする。そのようなやりとりを重ねていくなかで、イメージをふくらませながらお互いの頭の中に作品を創り上げていくように、作品鑑賞をするのである。

 雰囲気としては、友達同士が美術館で作品を前にわいわい感想を言いあったり、そこから触発されて別の話題にとんでいろいろな雑談をしている場面を思い浮かべていただければよいであろう。

 MARのメンバーが鑑賞に出向くとき、さわれる図版や点字資料などは作成しない。展覧会場の下見や展覧会の内容や作家について事前の勉強もしない。一緒に見る人や作品との一期一会の出会いのなかから、素直な感想を言葉にし、そのやりとりを通じて、違いや共通する感覚を楽しむ。「アート鑑賞とは作品と自分との、そして自分と一緒に鑑賞している人同士のコミュニケーションでもある」という考え方をそのまま具現しているといえる。

 とはいえ、自分の感じたことを言葉に表すのは必ずしも簡単なことではない。時に「伝えなくては」という思いにとらわれすぎ、言葉が不自由になることもある。本来一緒に回るメンバーは皆、対等の関係であるはずなのに、ガイドする人・される人の関係性を意識から払拭できずに、必要以上に肩に力が入り、がちがちの鑑賞となってしまうこともある。

 一方、メンバーは沈黙もコミュニケーションであることを体感してきている。感動のあまり息を呑んだり、難しくてため息をついたり、絶句したり、言葉を失ったり。これらもまた表現であり、言葉にならない言葉を身体から発散することもまたコミュニケーションであり、お互いにそこから多くのことを感じ合うことが鑑賞であることの実感を深めている。

 メンバーのホシノマサハルさんの次の言葉は、MARの鑑賞姿勢を端的に表しているように思える。

「ことばは わたしたちを助けます。

思いにならない ことばは あるにせよ です。

ことば というものは、ひと から生まれるものなのです。(中略)

人から生まれた ことば を通して 人 そのものが伝わるということもあるのです。

見えないものが、あたらしく またみえてくるとしたら。

想像力をもって それを それらすべてを意識しなければ、私たちの あいだには わかりあうということが消えてしまうのではないか と、どうしても思えてならないのです。(後略)」(「MARニュース」第8号)

 異論・反論・オブジェクション

 これまでの美術鑑賞の概念とは少し違ったMARスタイルの鑑賞にいろいろな疑問がなげかけられることは自然なことであろう。見えない人に何もふれてもらわずに作品をわかってもらえるのか? 作家や技法、作品の色や形、構図など客観的知識や情報をもっと詳細に説明しなくて鑑賞の共有といえるのか? など、さまざまな問いが噴出する。ワークショップやシンポジウムなどでMARの鑑賞スタイルにふれた人の中には、「内容が浅い」「美術鑑賞といえるのか」などという反応が返ってくることもある。学術的な情報や説明、さわることができる作品や図版などの用意を期待して来館する人も確実にいるのである。MARのメンバーのなかでも、常に迷いがあり、試行錯誤があり、これまでのニュースレターの記述にもそのゆらぎが現れている。

 しかし、例えば、客観的な視覚情報とは何であろうか? 客観的事実と思われていることがらでも、立場や文化的背景の異なる人からみれば、まったく違った受け止め方をされることもあり、世の中に絶対的な事実などというものがないことは、美術界に限らず、いろいろな場面でいわれていることである。同じ花を見て、一方は春の訪れを予感し、一方は花粉の恐怖を感じるかもしれないのである。

 MAR自身、MARスタイルの鑑賞が唯一無二の方法だとはまったく思っていない。100人いれば100通りの見方があってもよいのではないか、という思いをもって、MARのメンバーは自分たちにしっくりくる鑑賞スタイルをつくってきた。「人それぞれの鑑賞」とは多様性をありのままに受け止めることでもある。根底にあるのは、互いに伝え合いたい、違いも含めて理解し合いたい、信頼関係をつむぎたい、という強い意志である。

 MARの活動がきっかけに

 冒頭に紹介したエイブル・アート展の後、東京都美術館では、1999年9月から各企画展会期中の休館日の1日を「障害者特別鑑賞会」としている。企画展は混雑がひどく、障害のある人たちがゆっくり楽しめる環境ができないが、美術館としては誰でもが楽しめる場づくりをしたいという思いがあり、ボランティアとの協働により、アクセシビリティの高い鑑賞会を開催するようになった。ボランティアはエイブル・アート・ジャパンが公募し、MARのメンバーに加え、学生、会社員、他の美術館でボランティアをしている人、定年退職をした人など、さまざまな人が参加する。来館者も、車いす利用の人、聴覚や視覚に障害のある人、発達障害のある人などさまざまである。

 鑑賞会終了後には、美術館の職員とボランティアの意見交換が行われ、案内板の位置や椅子の配置、手鏡や懐中電灯の準備、さわれるレプリカの提供など、よりよい鑑賞環境をつくるための改善案を検討、次回に生かしている。ボランティア同士も率直に話し合い、お互いの違いも理解しながら、対立や統一ではなく多様性を認め合う努力がなされている。

 この鑑賞会への来館者数が年々増えている。リピーターに加え、口コミから新たに参加する人も多くいる。特に、視覚に障害のある人の来館が非常に増えたのはMARの活躍におうことが大きい。毎回100人を超える視覚に障害のある人が参加している。視覚に障害のある人が美術を鑑賞することに関心をもっていること、一定の環境が整えばそのような人たちが実際に出向いてきてくれることを立証したともいえる。

 見せる側に立った企画への参画

 2004年夏には埼玉県立近代美術館との協働プログラムが実現。一つは常設展示室の一区画に、収蔵作品の中から全盲の美術作家光島貴之さんが選んだリキテンスタインの「積みわら7」と光島さんがその作品に触発されて新たに制作した「ねじれ」を並べ、MARのメンバー3組による作品鑑賞の様子をMDに収録して流すもの。来館者はこれも収蔵品のひとつであるソファにゆったり座って、MARのメンバーと学芸員が作品について語り合っている様子を作品を見ながら聞く。まるで自宅で鑑賞するような雰囲気が美術館に出現した。美術館1階ロビーには「ずれる」「あつまる」「うかぶ」「ころがる」をキーワードに言葉のイメージを軸にMARのメンバーが選んだ作品を展示した。来館者の反応はさまざまだったが「見る側」から「見せる側」の発想を試したことによって得られたものは大きい。

 MAR的発想を社会へ向けて

 もうひとつニュースレターに書いてある言葉を最後に引用して、MARの活動の意味をあらためて考えてみたい。

「『見えない人と美術作品をみる』というコンセプトには、これまでの美術観や障害者観、人間観などをずらし、今までつながることのなかったものをつなげてくれる力があるのです。おそらくそれは、新しい私たちの社会のために用意されているのです。」

アクセス

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Tel:03-3364-2140 Fax:03-3364-5602

E-mail:info@ableart.org

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