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ミュージアム・アクセス・グループMAR

Q:G2光島*:MARでは現代美術の鑑賞が多いように思うのですが、何かこだわりがあるのですが?
A:G3白鳥*:こだわりはありませんが、鑑賞のやりやすさから、結果的に現代アートが多いかもしれません。以前「MARらしさって何?」と話し合い、「教える人/教わる人・説明する人/説明を受ける人」という固定的な関係をなくすことを、MARでは大事にしています。現代アートは、「わからないから始まりわからないで終わる」といった鑑賞の自由さがあり、「そこがMAR向きだね」とよく話しています。
A:G3大内:現代アートと無縁だった中途失明の人が「現代アートって話すことがあっておもしろいね」とおっしゃたこともありましたね。
A:G3ホシノ:僕の中には鑑賞と同時に芸術のこと、これからの芸術の形みたいなものを、みんなと少しわかり合いたいという思いがあります。美術館や美術がどう開放されていくかは実践を通さないとなかなかわからない。初めて参加した人が現代芸術に何か発言できた、そのきっかけを得たという感覚を大事にしたいと思っています。
G3大内:私は自分の野次馬精神にピッタリなのでMARを続けてきましたが、初めの数年は、説明過剰になっていることを自覚していませんでした。しかし、「モネの作品」を鑑賞したとき、睡蓮の池に太鼓橋が架かっている風景を「橋が右から左へ架かっている……」と説明すると、はじめて参加した全盲の方に「エッ、橋が横に? 橋はこちらから向こうへ行くものでしょ。私には想像できない」といわれ、目からうろこのような経験をしました。以来、相手の問いに答えたり試行錯誤しながら丁寧に観るようになりました。
最近では美術鑑賞を研究している全盲の半田こずえさんと線画を鑑賞した際、「柔らかい線」という表現が伝わらず、数名で言葉を尽くし探り合ったことが印象に残っています。また、女子美術大学の授業の一環で鑑賞した際、女子大生の「チャライ感じ?」という説明が全盲の年配者に伝わらず、作品を前に学生たちが言葉の定義を語り合っていたことも、おもしろい経験でした。
それから『靉光(あいみつ)』展で代表作「ライオン」を鑑賞した際、「洞窟の入口でライオンを中心に動物が身を寄せ合い、外に明るい滝が少し見え、動物たちは喧嘩もせず、静かにジッと……」と説明すると、年配の視覚障害の方が満州で4歳のときに終戦を迎え家族だけが地域に残り、翌日、ロシア軍が地域に侵攻してくる日のことを語り始めました。「父親が手榴弾を手に、集団自決しようとしピンを抜くところまでいった。しかし、父親が経営する町工場の従業員の中国人がそれを取り上げてくれて助かった。ずっと思い出さなかったけど、なぜか今思い出した」と。そのとき、話の情景と言葉と作品と観ている人間とが一緒になったと感じ、感動しました。その後、美術館へ手紙を出すと、学芸員から20年前から考えていた思い入れのある展覧会で話を紡いだことを知り、嬉しいと返事がありました。「まだまだわからないことだらけです。おそらく本当のリアリティーというのは、言葉に置き換えた瞬間にスルリと抜け落ちてしまうのではないか。それもでも我々は、彼らの作品に少しでも近づくために、果てしなく言葉を紡ぎ出し続けなければならないのではないか」とありました。野次馬で楽しくやればいいいと続けてきたけれど、学芸員の人とやりとりできたことも嬉しい出来事でした。
G3ホシノ:MARでは「ニュースレター」を一生懸命つくってきました。ぜひ、皆さんに読んでもらいたい。この中で僕は詩のようなものを書いてきました。1号目のタイトルが「気持ち」、2号目が「ことば」、続けて「重なる」「あいだ」「広がる」「いろ」「アンビエント」「世界」という文章が一つの詩になるようにつくったんです。その後は、「多文化共生」「想像力」「感覚言語」「コミュニケーション」「あいだ」「映像化(非日常化)」「リアルであること」「誤解」「誤認」「共通」「思い入れ」「分有と拡散」という短い文章を書いてきた。個人的な理由をいくら積み重ねても普遍化しないとわかっていますが、それらの言葉が今日までの自分なりの答えだと思います。この会議の後、この考え方が変わることもあることを期待しています。
Q:G2光島*:東京都美術館の活動を辞めたのはなぜですか? 1日貸し切り活動できるのは地方からするとうらやましいことで辞めてしまいがっかりしているのですが。
A:太田:「障害者特別鑑賞会」のことですね。この活動はMARの活動というわけではなく、東京都美術館が企画展ごとに休館日の1日を使って、障害のある人のための鑑賞会を実施しているものです。エイブル・アート・ジャパンは、MARのメンバーの協力を得て、立ち上げからパートナーとして運営をサポートしてきました。もともとのきっかけは、1997年と1999年に東京都美術館で開催した『このアートで元気になる
エイブル・アート'99』展でした。この展覧会の開催によって美術館側の意識が大きく変わり、障害のある人たちの美術鑑賞に大きなニーズがあるにもかかわらず、非常に混雑する企画展では安心して見てもらうことが難しいということが認識されたのです。こうした現状を解決するための試みとして、休館日を使った鑑賞会を企画をしようという話が美術館内に持ち上がったのです。そこで、障害のある人に対応するノウハウのない美術館に代わって、エイブル・アート・ジャパンがスタッフとボランティアを出し、鑑賞サポートや安全面の配慮などを行うことになったのです。1999年からテスト実施を経て2001年からはすべての企画展(年4回)で必ず1日行われています。回を追うごとに参加者が増え、人気の展覧会では1日に1,000人を超える方が来場しています。障害の種別もさまざまですがMARでの経験があったので、視覚障害のある人には言葉で一緒に観るというサービスも実施しました。視覚障害のある人の参加は毎回100人以上に上りました。
しかし、長年実施しているうちに美術館側の担当者が人事異動で替わり、設立当初の思いを共有することが難しくなってきました。「ボランティアは正しい作品解説をすべきだ」という発言が美術館側から出たり、これまで支給されていた遠方からのボランティアの交通費に上限が設定されるなど、少なからず関係性がドライになっていったのです。私たちが運営から抜けても特別鑑賞会が継続されることが確認できたので、2007年の28回目の鑑賞会をもって、エイブル・アート・ジャパンとしての企画協力を辞退したのです。鑑賞会は現在も続けられています。
A:播磨:いかに持続可能な活動にするかは重要な問題ですね。日本人は個々の思いはあってもシステム化が下手。サンフランシスコ美術館では鑑賞ボランティアを教育し、障害者だけでなくヒスパニック、子どもへの対応もシステムに組み込まれています。システムにならないと持続可能にならない。この鑑賞でもそこが一つの課題だと思います。
Q:G2山田:神戸市立博物館でも月に何回か休館日を「障害者の鑑賞日」にしていたと思いますが、特別観賞日を設けるにあたり参考にした美術館があったのでしょうか?
A:太田:ありません。当初は時間などの制限がありましたが、次第に学芸員の展示解説なども整い、普段の日より観賞する条件がよくなっていきました。毎回、みんなで反省会をして改善していった結果だと思います。
参加者は展覧会の内容から途中失明の年配の方、失明後初めて鑑賞する方が多く、数カ月先の次回の予約ができるのでリピーターも増えていきました。
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