視覚に障害のある人とのことばによる美術鑑賞会議 
報告書

 

鑑賞グループの活動から見えてくる
人と美術との新たな関係

 前日の鑑賞グループのデモや活動報告を受け
まず、この鑑賞の方法などについて意見を出し合った

 

1.鑑賞にルールって必要?

2.活動と鑑賞、二つの“ゆるさ”

3.ゆるやかさの障壁

1.鑑賞にルールって必要?

司会:議論するテーマについて、意見はありますか?

M梅田:鑑賞グループの活動を考察しては?

M池尻:賛成。この鑑賞を考えるうえでも、各鑑賞グループの活動の特徴を言葉にすることから、始めてもいいと思う。

G2光島*:そういう意見が出るのは、鑑賞のしかたに違いがあると感じたからですか?

G3ホシノ:昨日の鑑賞デモで、僕は当初、ほかのグループと違いを出さなければと思っていたのですが、途中でそれは作為的で違うと思った。鑑賞の会話や言葉は個人的なもの。個人のそれとグループのそれは、リンクしないと思う。

それより、グループの立ち上がり方を話した方がいいのでは? 他人に「視覚障害者と一緒に絵を観る」と言うと、「エッ!」と驚かれる。この鑑賞をやってみようという人には、活動の発端やアイディアが大事だと思う。

 

太田:MARの場合、「視覚に障害のある参加者を失望させずにまた来てもらうにはどうすればいいか」「この一期一会を次につなぐにはスキルをつけるべきか」と、いつも議論になって、結局、「ルールをつくらない」「スキルに走らない」という結論に戻り、ホシノさんの言う「個人の鑑賞」に今は落ち着いている。

活動の経緯と合わせて、そのルールやテクニックも聞いてみたい。

 

R杉浦:コンパでは、どうですか? 柔らかいルールを設けているビューの鑑賞を、どう思いますか?

 

G1松尾:コンパでは当初、名古屋YWCA美術ガイドボランティアグループの美術館にガイドがいて比較的ルール化されたやり方と、MARのやり方を比べ、自分たちの立ち位置を探っていました。そして今は「ゆるく」という状態に落ち着いています。

今回集まっている3グループは、規模も年月も環境も違い、その違いで集まり方もやり方も違うと思う。最初のMARと今のMARも違うだろうし、東京という大都市でMAR以外のグループがないのも不思議な感じがします。

ビューのルールにある内容は、私たちコンパの3人の中では、あえて言葉にするまでもなく共有していることです。鑑賞者同士その都度やり方が生まれるし、初めての鑑賞者がルールに縛られないよう、グループに私たちや経験者が入り鑑賞をナビゲートすることで対処しています。楽しさが伝わるガイダンスとなる資料は、あってもいいかなと思います。

 

G1石田:コンパでは、私たち3人がマニュアルを持つことよりも参加者の意見をシェアすることを優先して、続けてきました。アート鑑賞後の時間では、参加人数は半減(3〜5名?)しますが、お酒やお茶の時間は、鑑賞と同じくらいの時間を費やし、参加者にいろんな意見を出してもらっています。その会話には、ルールにつながる話は、これまで出てきていません。

ほかのグループと違ってコンパは人数が少ないので、「ゆるい」感じで動いている。それがかえって、いいのかなと思っています。

 

G1濱田*:活動当初、参加した視覚障害者から「これってどんな意味があるの?」と聞かれて悩みました。鑑賞の意味を真剣に考える人と、私たちの「楽しくやろうぜ」という感覚にズレがあって、そこが難しい。私はあくまでもこの活動を、コミュニケーションツールと考えていて、それを利用しているだけ。だから、ルールは考えたことがない。最近、「この後どうしたいの?」と聞かれ、悩んだりはしていますが……。

多分、鑑賞に参加する原点はみな同じ。後は表現力の差で、鑑賞に大きな差やよしあしはないと思う。だから、3グループを比べる必要もないのかな、と思います。

 

G1石田:ホシノさんが言われたように、この鑑賞は、個々のその場のやりとりが優先すると思います。昨日、ビューの3人がデモをしているとき、その会話が聞こえているのに、脇で濱田さんが「この絵はどんな絵?」と、いつものように私に聞いてきた。そんな風に、枠組みがあるものではなくこの鑑賞は自然に発生するものだと思いました。

 

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2.活動と鑑賞、二つの“ゆるさ”

R井尻:確認のため、コンパで言う「ゆるい」とは、プログラムやハードのことなのか、鑑賞の雰囲気のことなのか、教えていただけますか?

G1松尾:まず、メンバーが少ないゆえの「ゆるさ」です。長く細く続けるための「ゆるさ」。許し合うため、つぶれないための「ゆるさ」。メンバーに時間的余裕ができれば「ゆるさ」という言葉は使わずにすむのかもしれません。

議論の様子 写真

G1濱田*:本心はまじめにやりたいのだけれど、まじめすぎると長続きしない。適当でないと私たちだけでは、やり続けられない。だけどやりたい。あの人に会いたい。もっとおもしろい会話がしたい。それで一生懸命やっている。

 

R井尻:時間のゆとりができれば、「ゆるさ」はなくす方向に進むということですか?

 

G1石田:ホストとして参加者をもてなし、一緒に楽しさをシェアしようということも、「ゆるい」という感覚だと思っています。「自分たちが楽しもう」という感覚。

 

G1濱田*:博多の人は、ラテン系(笑)。堅苦しさを嫌うから、楽しくないと集まらない。それが「ゆるさ」やコンパという形につながっていると思う。

播磨:昨日からこれまでの議論について三つ感想を言わせてください。まず、各鑑賞グループの活動は「美術館はコレクションの場」という概念を崩すきっかけをつくっていると思いました。サロン、つまり社交が美術館の大切な役割であり、今広く社会に求められていますが、そのことをグループの活動が社会に問いかけている点が現代的であり、非常におもしろいことだと思いました。

 それから、3グループはともに都市型ですが、各都市で特徴的な育ち方をしている点がおもしろい。東京には、映画『お茶と同情』のように互いにしばしお茶を楽しみながらもサッと去るといった、哀れみではなく感覚を共有して思いを分かち合う「同情」、ホシノさんが昨日「分有と拡散」と言われたように理念まで立ち入らず人間関係をつくっていくところがある。一方京都には、長屋のような温かい人間関係がある。そういった都市の土壌の違いによってMARは「カフェ風」、京都のビューは「長屋風」、福岡のコンパは「居酒屋風」(パブ風)とも言える特徴がある。

それと私は「ゆるい」とは、「not yet=非決定」で、各グループに共通する重要なキーワードだと思います。現代の規則や時間に縛られた管理社会には、決定されたことばかり。一方、「not yet」は自由。しかし、自分で考え自分で責任をとらないといけない。その了解のもとで、各グループは、曖昧な部分を持ちながらも、人のつながりをつくっている。それは、成熟した社会のモデルだと思います。そのことをアートや美術を通して社会に提案しつつある。これは、単なる鑑賞のあり方を巡るのではなく、これからの社会のあり方につながる大きなヒントだと思います。

 

G1石田:私の仕事の絵画療法*では、「絵画は曖昧なものを曖昧なままに曖昧に伝えることができる」ことを、長所と捉えています。この活動の「ゆるさ」も、そこを大切にすることにつながるのかなと思いました。

 

R井尻:以前、MARにかかわっていたので思うのですが、MARは「ゆるみ」を持たせる方向に進んでいるような気がします。「ゆるみ」の中で、いろんな人を受け入れる部分をつくろうとしていたのかなと。また、石田さんが言われた「曖昧なものを曖昧なままに伝えること」は、言葉を使ってもできるのではないかなと思いました。

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3.ゆるやかさの障壁

 

R杉浦:白鳥さんと森美術館で「ヴィジョンツアー(現「耳と手でみるアート」)」*を始めたとき、「ゆるやかにやりたい。例えば豆腐のようにフレームはあるけれど内容はプルプルした感じで」と思っていました。ただ、美術館を取り巻く環境がバリアフリーでなく、結局視覚障害者を駅改札まで迎えに行き、ツアーが始まってからある程度ゆるやかに対応したのですが、ハードをカッチリさせつつ会った瞬間にゆるくする、そのゆるさと環境との兼ね合いが難しいなと思いました。迎える側がハードをしっかり準備することは、見えない人にとって来やすい? それとも面倒?

 

G3白鳥*:待ち合わせを細かく指定することは、来やすくする一つの手段です。特に全盲だと、外へ出るのが大変、と思っている人が多いので、その外出の面倒くささを少しでも楽にすることは必要だと思います。

R杉浦:播磨さんの発言に関連すると思いますが、その「ヴィジョンツアー」では、美術館は社交の場、それも「カッコイイ社交の場」という売り出し方をしました。マネージメントの話になるかもしれませんが「サインツアー」「ベビーカーツアー」といったプログラムを、美術館側がある種「おしゃれなこと」として提案し、市民のニーズとそうした美術館のブランディングが重なったように感じます。

 

R日野:ビューでは見える人が集まりにくいという話でしたが、多くの人が抱きがちな「美術は難しい(特別な)もの」という概念が、「ゆるさ」を理解してもらえない一つの壁で、その「概念崩し」が必要だと思います。ビューの鑑賞に参加したとき、見える人の中には解説書を抱えて必死で絵を説明している方もいましたが、見えない人は皆さん元気に「ゆるい」感じで鑑賞を楽しんでいるようでした。以前、ある見えない方が「デパートで品選びをする時に店員さんといろいろな話をするのと同じ感覚」と話されたことがあり、大変印象的で共感しました。

 

M梅田:まちの中でのアートイベントなど、ゆるやかな取り組みも行っていますが美術館はまだまだ「知の殿堂」というような、権威的なイメージが根強い気がします。美術館を「障害者のために」というよりも、まずは「ゆるやかな存在であるために」開いていくことが大切だと思います。

でも、美術館が「ゆるやかなワークショップ」を提案しても、参加者が「具体的に勉強になるモノ」を求めていれば、ズレが生じてしまう点が難しい。

 

司会:この鑑賞では、決定されていないものをやろうとしていて、でも「ゆるさ」だけでは難しい。「どこをゆるくするか」が問題だと思いますが、それだけを議論しているわけにもいかないので、当初の「視覚障害者にとって」というテーマに戻りたいと思います。

 

ここまで。下記より補足情報

*絵画療法

古来、芸術は人の精神を癒す作用があることは知られているが、これを近代科学のもとで治療に応用していくのが芸術療法であり、絵画療法もその一つ。子どもや精神疾患を抱える人のように、言葉による精神療法に限界があるときなどに特に力を発揮してきた。

 

*「ヴィジョンツアー」

森美術館が2004年から開始した視覚障害を持った人と会話を通して作品を楽しむツアー。『クサマトリックス草間彌生』展での白鳥建二氏と杉浦幸子氏のプライベートツアーがきっかけ。現在も「耳と手でみるアート」として継続。

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