司会:最後の議論では、未来に向けて、いかにすれば活動を続けていけるか、人を巻き込めるか、について議論したいと思います。
太田:いかにこの鑑賞を広げられるかが、この会議の一番のミッションです。システムという言葉に引きずられずに、どうしたら人に伝えられるか、について議論したいと思います。
1.見えない人からのアプローチ
G3大内:原点に戻って、なぜ、私たちが言葉による鑑賞を続けているのか考えてみたのですが、アートが対話を求めている気がする。しかし、私たちはシャイなので人に話ができない。が、そこに視覚障害の人が入ると、どうしても言葉に乗せなければならない。耳を傾けてくれる人がいることで対話を引き出してくれる。MARの活動でだんだん楽しくなってきたのはそこ。視覚障害の人の感性を通して言葉が返ってくると、パッと開ける。それがナビゲーターにもなり、私たちの財産にもなっていると思います。
G1石田:『星の王子さま』に、大人の目から見ると帽子の絵が描かれているとしか見えない子どもの絵が、実は描いた子ども自身にとっては、蛇が象を丸飲みした様子を描いた絵であるという話が挿入され、「大切なことは、目に見えないんだよ」と語る場面があります。それと同様に、私はアートの鑑賞とは、見えないものを観る体験で、視覚障害者と一緒に観ることは、そこに描いてあるものの先にある世界を一緒に観ることに結びつける体験だと思います。
司会:視覚障害の人がナビゲーターになりうるか? について意見はありますか?
G2光島*:以前は、一参加者として鑑賞ツアーに参加する受け身でしたが、アメリア・アレナスの対話型鑑賞にナビゲーターがいると知ってから、その役割を意識しています。以前は無意識でしたが、鑑賞の触媒としての役割を意識して、言葉を投げかけ見える人の言葉を引き出したり刺激したりすることも、最近はおもしろいなと思っています。やりすぎは不自然ですし、予習をして知識を持ち、それを語らずところどころで問いを出すようなアレナスのナビゲートはできませんが、ある程度鑑賞の経験を積んだ見えない人が、それとは違う形で自然にナビゲートしたり、ワークショップをしたりする可能性はあるなと思っています。
G3白鳥*:光島さんがビューの鑑賞で長く受け身だったという点には納得できます。僕が美術館で鑑賞を続けてきて、早く抜けたかったのは、その点です。しかし、抜け出た先は、ナビゲーターではないと思っています。
まず、受け身の状態は心地よくなかった。見える人に見えた情報を話してもらうことは、違いを埋める作業であり、時間や労力が費やされる。それは、無駄ではないが、その先へ行ったらもっと心地よいものがあると思っていたので、早くそこへ行きたかった。
そこへたどり着きたくて、僕がとった方法は、見える相手との共通点を探すことです。まず、相手の気分や言葉に乗る。自分の主張のボリュームを下げる。意見を言わずに相手に話してもらい、話し方や知っていることから共通点を探って、そこから話を始めることにしました。それが、仲よくなる秘訣。基本的には恋愛と同じです。
違いを強調するのではなく、共通点を探し、できるだけいい関係を目指すことで作品にも興味が持てるし、相手の話にも入っていける。手っ取り早く、ある場面では見える相手と対等になれる方法だと思っています。
廣瀬さんは、触覚なら晴眼者と対等になれると言っていましたが、僕は触察能力が対等ではないと思う。対等と言うなら、もっと触察能力を追及して、広く触察のすばらしさや未来像を提示してほしい。
言葉による鑑賞には、未来像があると思う。と言っても、言葉にはできないが、そんな実感が僕にはあります。言葉にするのは僕の役目ではないので、実践していきたい。
見える人、見えない人の両者とも「溝がある」という先入観を持っていて、それを埋めるきっかけが、この活動にはあると信じています。この活動でたどり着くであろう先の鑑賞には、見える人見えない人の差はない。この鑑賞を続けている人には、その実感があると思う。だからそこへ行く手前でつまずかず、先に行ってほしい。
G2光島*:白鳥さんの方法は、カウンセリング的。感情に焦点を当て、聞くことに徹していると思います。僕もそれをまねようと思ったけれど、鍼治療も相手の気持ちを理解する仕事なので、鑑賞でも同じような立場でいるのは、しんどい。だから、鑑賞では、吐き出す方に回りたい。アレナスのようにシャキシャキと元気よく語ったり、揺さぶるように問いかけたりするのもおもしろいなと思っています。受け身的でない方向は白鳥さんと同じだけど、性格も違うし、いろんなやり方があると思う。
R廣瀬*:「対等」についてですが、スタートラインとして、触る鑑賞は見える人と対等になれることがあると言っただけで、触る鑑賞が見える人と対等になれるという意味ではありません。言いたかったのは、言葉による鑑賞には向き不向きがあり、自分は触る鑑賞の方が向いているということです。多分白鳥さんと目標はだいたい同じで、方法論が違うだけだと思います。
G1濱田*:白鳥さんの主張はよくわかります。僕も好かれたいから、人に合わせている。僕は体験主義で、ボキャブラリーもないので、このような難しい議論を重ねるより、実践したい。
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