会話のプロセスが生み出す楽しみの場
「対話によるアート鑑賞」といわれて、すぐにそのイメージがわく人はまだまだ少ないことと思われる。
美術館などへ行った時、引率者がいて、展示されている作品の前で何人かで構成されるグループの人たちが説明を受けている場面を見たことがあることであろう。多くの場合、引率者は美術館のスタッフであり、展示作品について、その作者について、技法について、あるいは時代背景についてなどの解説をしており、このような行為は一般に「ギャラリー・トーク」といわれている。
「対話によるアート鑑賞」は、このギャラリー・トークに類似するものだが、決定的に違うのが、美術館スタッフなどから一方的に情報を提供されるのではなく、鑑賞者自身も発言をし、ナビゲイター(後述)と、あるいは他の鑑賞者と会話のキャッチボールをすることにより成立するものであることである。
「対話によるアート鑑賞」では、ナビゲイターと呼ばれるリーダー役の人がいて、その人のもとに何人かの鑑賞者がいる。鑑賞者は例えば、ある学校の同じクラスの生徒たちである場合もあれば、募集に応えた一般市民の場合など、さまざまな集団が考えられるが、必ずしもアート愛好家ではなく、専門的な知識をもたない人たちである場合が大半といえよう。ナビゲイターはある作品について「見えたこと、思ったこと、なんでもいいので話してください」といった開かれた質問をする。それに対して、鑑賞者は「なんだかこれからパーティが始まりそうな感じがする」とか「花がダンスしているみたい」などといった感想を述べていく。ナビゲイターは鑑賞者のレスポンスについて、時にほめ、時にびっくりし、時にさらなる質問を重ね、時にいくつかの反応をつなぎ、時に補足的な情報を提供し、鑑賞者の発言をさらに促し、会話を盛り上げていく。
鑑賞者たちにとっては、その会話のプロセスが豊かな発見・気づき・学び、そして楽しみの場となり、アートを身近に感じるとともに、自らの変化や成長をもたらしてくれるものになる。
このような鑑賞の方法は、1980年代後半に、米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)にて開発・発展されてきたもので、その中心的役割を担ったアメリア・アレナスさんは、日本に何度も招聘され、その考え方を紹介するとともに、デモンストレーションを行ってきている。
そのアメリアさんを日本に紹介するのに尽力したのが、91年、MoMAにて研修員をしていた福のり子さん(現・京都造形芸術大学教授)である。
研修員としてアメリアさんの元で働いていた福さんは、このアートとの新しい向き合い方、鑑賞者と専門家の新しいかかわり方、その根底にある考え方を日本に紹介したいと、長期構想を立てて日本の関係者に根回しをし、95年にアメリアさんの日本招聘を実現させた。その間、日本の美術関係者を対象にしたMoMA研修プログラムを
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回組み、ニューヨークで体験してもらうプログラムを実施するなど、まずは、そのおもしろさを理解してもらう働きかけもしてきている。それほどにも時間がかかったのは、日本の美術館界で「教育」の意味が明確に位置づけられていなかったことも一因といえよう。日本の美術館は作品のコレクションとメディアなどとのタイアップによる企画展の実施が主流で、自らの役割のなかに、人びとの生活や社会にかかわること、市民の暮らしに役に立つこと、という考え方が意識されていなかったこともあるのだろう。昨今、欧米の美術館のミッション・ステイトメント(美術館の目的・役割などを明文化し公表しているもの)には、教育的な役割や文化・社会的な役割についての記述が必ず入っている。
95年に水戸芸術館を中心にアメリアさんの招聘が実現して以来、「対話による鑑賞」は日本各地で実演され、また、同様の試みをする動きも広がってきている。それでも、この方法を異端視する人たちも、本質を理解しない人たちもまたいることは、その辺りの意識の差かもしれない。
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